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なぜ食べ物で遊ぶとアフリカの話が出てくるのか

Anonymous

John

2025年6月4日

社会
#考え

なぜ「食べ物を無駄にするとアフリカの話」が出てくるのか?

「食べ物を無駄にするとアフリカでは飢えている人がいるんだからダメだ」という言葉は、多くの人が一度は耳にしたことがあるはずです。しかし、冷静に考えてみると、この主張には論理的なつながりがほとんどありません。日本で誰かがご飯を残したからといって、アフリカの飢餓が悪化するわけではないし、逆にすべて食べたからといってアフリカの誰かが救われるわけでもないからです。

それでもこの言葉が繰り返される理由は、相手に罪悪感を与えて行動を変えさせるためです。本当は「食べ物を粗末にするのは見ていて気分が悪い」「もったいないと思う」という個人的な感情が根本にあるのですが、それだけでは子供や他人を納得させにくいため、「アフリカの飢餓」という道徳的に強いイメージを引き合いに出すのです。

これはある種の道徳的プレッシャーや感情的な操作とも言えます。本来、「食べ物を大切にする」という価値観自体は悪いものではありません。しかしそれを伝える際に、現実とは無関係な事例を持ち出し、他人の不幸を使って説得しようとするやり方は、不誠実で思考停止的です。

人間は進化の過程で、食べ物を無駄にすることに本能的な嫌悪感を抱くようになりました。そうした本能や感情に、道徳や社会通念が上乗せされて「食べ物は無駄にしてはいけない」という考えが強化されてきたのです。そして、それを子供にも継承しようとする過程で、「アフリカの飢餓」というインパクトのある例が都合よく使われている、というのが実態ではないでしょうか。

このように書きましたが 私はアフリカを引き合いに出して 食べ物で遊ぶな と注意してもいいと思います。なぜなら 食べ物で遊んで嫌悪感を感じる人がたくさんいるし、それを教えるためにアフリカの話は便利だと思います。


食べ物を無駄にしてはいけないという価値観を考え直すべき理由

「食べ物を無駄にするな」や「もったいない」という考え方は、もう一度見直す必要があるかもしれません。

そもそも人間は、食べ物を無駄にすることに対して嫌悪感を感じるように進化してきました。かつて人類が狩猟採集をしていた時代、いつ次の食事にありつけるかわからなかったため、食べられるときにはできるだけ多く摂取することが重要でした。その結果、「たくさん食べるのは良いこと」という価値観が生まれ、食べ物を粗末に扱うことには本能的な拒否反応を持つようになったのです。

しかし、現代は農業や産業が発展し、私たちはいつでも比較的簡単に食事を取れるようになりました。飢えることはほとんどなく、食べ物を無駄にしないことに対する強い嫌悪感は、もはや時代遅れな本能の名残とも言えるでしょう。これは、甘いものを過剰に摂取して肥満になってしまうのと同じように、現代ではもはや適応的でない行動です。

だから、もし嫌いな食べ物が出たときに、無理に食べる必要はありません。むしろ、その食べ物で遊ぶことで嫌悪感を乗り越えられるのであれば、それも一つの手段です。

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「アフリカの人が〜」という道徳的プレッシャーの不合理さ

よく、食べ物で遊ぶ人に対して「アフリカでは食べられない人がいるんだから、食べ物を無駄にするな」と言う人がいます。しかし、これは論理的におかしい指摘です。アフリカの飢餓と、目の前の誰かが食べ物で遊んでいることには、何の因果関係もありません。

本当のところ、人は食べ物で遊ぶのを見ると嫌悪感を抱きます。だから、その行動をやめさせたくなる。しかし「それは嫌だからやめてほしい」とはっきり言えず、代わりにアフリカの人々を引き合いに出し、罪悪感を利用して道徳的なプレッシャーをかけているのです。これはある意味で洗脳に近い行為であり、合理的な説明とは言えません。

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新しい価値観への期待

こうした無自覚な道徳の押しつけから解放され、食べ物で遊んでも嫌悪感を抱かないような社会が来ることを願っています。価値観をアップデートし、時代に合った行動や教育がされる社会のほうが、人間らしく自由であるはずです。

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